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泡盛ルポライターの富永麻子(99年度泡盛の女王、愛称「古酒(クース)」)が酒造所を巡り、各酒造所の歴史、伝統、特色、こだわりを聞き出し、杜氏の人柄を引き出すインタビューコラム。
富永 麻子 (とみなが あさこ) = 文 / 撮影
石垣市内の民家が並ぶ細い路地に沿って小さな酒造所、玉那覇酒造所があります。
夫婦酒と云われる「玉の露」は、製造から瓶詰めに至る全ての作業において、玉那覇ご夫婦の二人だけが必ず触れているからです。
「散らかっててなにか見せられるものなんてあるかしら?」と笑顔で迎えてくれるのは、玉那覇酒造所の奥様。沖縄本島の与那原町から石垣に嫁いで25年、「もうここでの暮らしの方が長くなった」とはにかみながら語ってくれました。
昭和10年代、「あがり(登野城)の玉那覇、いり(石垣)の玉那覇」といわれ本家・分家とも大きな酒造所だったという玉那覇酒造所。
しかし、戦時には大きな煙突を持つ酒造所は、真っ先に空爆をあびることとなり、そのほとんどを失ってしまいました。奥様が嫁いできた時は、現在の場所へ移り酒造所の建て直しをした頃だったそうです。
これまでご苦労はありましたか?
と尋ねると、嫁いできたばかりで初めての酒造りに手荒れがひどくハンドクリームを使い、夕食の支度をすると、お姑さんがそのかすかな匂いに気づき、「酒造りをするものがそんなものを使ってはいけない!」と叱られたそうです。
そのこだわりと研ぎ澄まされた感覚に驚かされ、それ以降今日までハンドクリームは使ったことはないのだと荒れた手を見せながら話してくれました。
その手には、酒造りへの深く静かな愛情が受け継がれているのです。
玉那覇酒造所のこだわりは、黒麹を黒くはわせること。蒸したタイ米に黒麹菌を散布して麹をつくるという泡盛独自の製造法の中で玉那覇酒造所は、その独自のこだわりを持ち続けています。
戦前の泡盛は、麹の臭いが鼻につき、コーラなどで割らなければ飲めなかったといいます。しかし最近の泡盛は、マイルド化ブームで麹を強くはわさない傾向が見られる中、玉那覇酒造の麹タンクはみっちりと黒麹がはえているのです。奥様に誘われて麹タンクに入った発酵途中のもろみをなめてみると強烈なすっぱさを感じました。
「主人は、黒麹を強くはわせることで、いい古酒ができると信じているのよ」と語ってくれた奥様。かたくなに手作りの酒にこだわり、祖父から父へ、そして母から受け継がれた、今日の夫婦酒。
変わらぬ泡盛の風味、酒造りを心から愛し、夫婦で守り抜く酒がそこには息づいているのです。
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